私はたぶんアロマンティックだと思う。
恋愛は当たり前のこと
恋愛の存在自体について考える人はどれだけいるだろうか。
きっと大部分の人が自然すぎて考えないくらい当たり前のことなんだろうなと思う。
私もその価値観で生きてきた。
それに囚われて必死にパートナーを作ろうとした。
でもピンとこなかった。
人と出会って抱く感情を恋愛と結び付けることが出来なかった。
どうしてもその人を好きと思う感情が湧かない、理解できない。
愛すること
恋愛リアリティショーでは好きな人を見つけてアタックする。
人間の心の動きや人間模様は面白いと思うけれど、”好き”だけがわからない。
”好き”が生まれる要素を見落としているのかと思うほど理解が追いつかない。
何を持って好きと言えるのかとかひたすら考えて理解しようとするけど無理。
きっと考えるとか理解とかそういう世界じゃないんだろうなとは思うけれど、感情を分かろうとする。
まあ、分かったことはない。きっとこうだろうなという想像の域を出ることは出来ていない。
ちなみに同性愛について偏見はないつもり。
でもそこには人間には愛があることが大前提な訳で。
改めて、愛の存在の当たり前さを実感させられる。
だから異性にしろ同性にしろ、人間を愛することができる人が羨ましくて仕方がない。
変人扱い
いつか運命の人が現れるよ。
まだ出会っていないだけだよ。
理想が高いんじゃない?
恋人がいないとなぜかこういう幻想や妄想を押し付けられる。
恋愛しないと一人前の人間じゃないと言われているような気分。
恋愛をしないことはおかしいんだよという洗脳。
もしかしたらそんな日がいつか自分にも訪れるのかもという変な期待。
確かに恋愛が当たり前の人にとってはそうなのかもしれない。
いつか…理想が…で対処できる話なのかもしれない。
でも愛が理解できない人からすると、そういう話じゃないんだよと思う。
だからどうかその思考で勝手に私の価値を計らないでくれと思う。
アロマンティック
他者に対して恋愛感情を抱かない人のこと。
あ、これかもと思った。
選択して恋愛しない訳じゃなく、そういう感情がないだけなのかも、と自分を肯定された気分になった。
そういう括りがあると知らないときは自分が変な人としか思えなかったけどそうじゃないかもと思えた。
そしたら、みんなと同じように恋愛も結婚も出産も出来なくたってしょうがないと思えるようになった。
そもそもが違うから抗ったって仕方ないと思えば焦りもなくなった。
無理なものは無理。
でも諦めるとか出来ないという言葉で片付けるのではなく、私には向いていないだけ。
そういうシンプルな話だとして受け入れた。
これだけですごく楽になる。
でもね、恋愛ってやっぱり世の中の当たり前すぎて、自分には分からないんですと言えないのが現実。
自分がわかっていればいいし、理解して欲しいと思ってもいないけど、人付き合いにおいてはそうもいかない。
普段の会話で自然と恋愛の話がなくなってくれればどれだけ心が安らぐだろうか、と何度も考える。
きっとそんな日はこないから、今日も普通を取り繕う。