同僚が言った。
人生が楽しい、と。
とても羨ましかった。
と同時に悔しかった。
いったい自分の人生が楽しいと胸を張って言える人はどのくらいいるだろう。
逆にどんな違いがあって自分は人生を楽しめずに生きているのだろう。
同僚の言葉を聞いて、このまま楽しんでいる人を横目に死んでいくのは嫌だと思った。
今からでも死ぬときに人生楽しかったと言えるような生き方がしたいと思った。
楽しいを受け取る力
まず最初に立ち返ってみる。
楽しい人生とはいったいなんなんだろう。
仕事が順調、友達がいる、旅行や趣味などを楽しむ経済力がある、大切な人と過ごす時間がある、推しがいる、毎日の暮らしがある、美味しいものが食べられる
こういう日々の出来事に楽しさや幸せを感じられるかどうかが大きいのかもしれない。
楽しい出来事が日々数えきれないほど起きていると捉えられれば、その分楽しさを享受出来るチャンスは多い。
結局、日々の出来事にどれだけ楽しみを見いだせるかという点で個人の力量が試されているのかもしれない。
ということは私は楽しいことを楽しいと受け取る力が不足しているのではないかという説が濃厚である。
こう捉えたとき、たしかに私は感情が欲望と現実に支配されていると感じる。
何を誰と食べるかよりおなかが満たされることを重要視しているし、
仕事で何が出来たかよりその日の出来なかったことや失敗を数える。
休みの日に自分の時間をどう使うかより、とにかく眠って疲れをとって何も考えないことを優先する。
日々が精一杯で当たり前。
きっとこの積み重ねで、楽しみを受け取ることが出来なくなってしまったのだろう。
楽しいを選択する勇気
もうひとつ。
私には楽しいを選択する勇気がないという説。
私の休日はやりたいことよりやらなければいけないことやどうでもいい時間に充てられる。
まず無駄にスマホを見る時間が途方もなく長い。
そのあとは読みたい本より読んだ方が良いと思う本を読む。
食べたいものより食べた方が良いであろうものを食べる。
行きたいところに行くよりもお金も時間もお手頃な近場のカフェに行く。
こうやって自分をごまかす。
せっかく湧き上がった気持ちだっていつもないがしろにされるもんだから、もはや自分の意思さえもどんどんなくなってくる。
お金や時間、体力、健康。
私の頭はこういう分かりやすいものに支配されて、楽しみを選択することが出来なくなってしまったのだと思う。
私の人生に楽しみを取り戻す
私の人生に楽しみを取り戻すには上記の2つを乗り越えることがポイントになるでしょう。
そのうえで、どうやって実践していくか。
私が30年生きてきての体感でしかないけれど、日常に楽しみを見出すというのは私にとって至難の技な訳です。
もちろん、ちょっと気持ちをそちらに配分していこうというつもりはあるけれども。
だから、楽しいことを選択する勇気の方を鍛えていこうと思う訳です。
選択すること全てである必要はなくて。
どうでもいいことややらなければいけないと感じている時間のほんの少しをやりたいことに使ってみる。
やりたいことがないときは、リフレッシュや娯楽などで自分の時間を使う。
毎日毎日仕事して生活して、その生活すらままならなくて発狂してしまいそうな時もある。
昔やりたかったことが現実の生活に圧し潰されて、夢として眠らせてしまうこともある。
やりたくないことをしながら、それを受け入れざるをいれない自分に腹も立つ。
でもそんな日々だからこそ自分のために時間を作る。
これまで失ってきた時間を思うと切なくなるけど、まだ取り返せる。
せめて私だけでも、私を信じてあげようと思う。