考え方や捉え方なんてものは人それぞれ。
物心がついたころから小さく小さく積み重ねてみんな生きている。
いつしかそれは各自の当たり前となる。
趣味や生き方は違っても、考え方自体が人によって違うということを疑うことすらなかった。
思考の癖なんて案外自分では気が付かないみたいだ。
私の思考の癖
私は昔から自分になぜを問い続けてきた
”なぜ出来なかったのか、なぜそう考えたのか、なんでそう思ったのか、
もっと上手くできたのではないか、何が足りなかったのか…”
もっと自分のパフォーマンスを良くしたいという向上心なのか、はたまた出来ないと恥ずかしいという世間体とか見得なのか、それとも完璧にこなしたいという傲慢さなのか…
自分でも理由は分からない。
でもとにかく同じことを繰り返さないように自分を縛る。
これが私の毎日で日常。
そんな私の思考に癖があると明らかになったのは、人から悩みを打ち明けられたときのことだった。
私はいつも自分にするように、当たり前のように相手に”なぜ”を求めた。
そしたらこう言われた。
”問い詰められているようで苦しい”
”なぜ”という言葉は人を追い込む言葉になり得るらしい
ちょうどそんな時に読んでいた本で知ったことがある。
なぜという言葉は防衛本能を呼び起こすということ。
機械や手順など物事に対してのなぜは効果的だが、人に対してのなぜは心の壁を作ることに繋がるという。
なるほど。
私は前述した相手を含め過去に2度、同じようなことを言われたと思い出した。
私の無意識の”なぜ”という問いかけは、相手の防衛本能を刺激し苦しめていた。
それと同時に、何十年もの間自分を苦しめていたのもこの”なぜ”だったということに気が付いた。
過去から未来へ思考の方向を変えてみたら
その本では、”なぜ”を離れ”どうしたら”を考えると提唱されていた。
どうしても変えられない過去を振り返るのではなく、未来思考で出来る方法を考えるというわけです。
この本を読んで数日間試してみたら、とてつもなく効果的。
反省モードに入ったら、意識的に未来志向をプラスするようにする。
それだけで、心のモヤモヤがさぁーと晴れて明るい気持ちになる。
どうしたら実現出来るかなとワクワクさえしてくる。
案外簡単だった。
最初はただ考えるのが好きだっただけだと思う。
派生してマイナスな方向に自分を走らせているとも知らず頭を回していた。
でもそれはいつしか私の考え方の癖となって、知らず知らずのうちに自分や自分以外の人を傷つけていた。
そしてこれが意図的じゃないからもっと怖い。
これからは明るい考えすぎる人として、日々のあれこれを無駄に考えてみたいと思う。
参考文献:いま、あなたに必要なのは答えじゃない。問いの力だ。by岸良裕二