最近大人になったことを実感した瞬間がある。
それはやりたくないことから逃げようとしたとき。
上手に逃げる術を自然と身に付けていたことを痛感した。
まさに、若い頃にああはなるまいと思っていた大人の姿。
こんな大人の姿のままこの人生を終えたくないと思った。
やりたくないと駄々をこねた
健康を気遣って始めたランニング。
初めはやる気でいっぱいだったが、久しぶりの運動に体が全くついてこない。
それでも何回か走ってみると、汗をかくことの気持ちよさが分かってきた。
と同時に走る前からランニング中の苦しさが思い起こされて走るのが億劫になった。
ある時走るのが嫌過ぎて、いい歳こいてこれでもかというほど駄々をこねた。
走らなくていい理由を考え尽くして逃れようとした。
結局、いつも通り走ったし終わってみれば気持ちが良かった。
けれど自分が目の前のことから逃げようとしたこと、
その癖が自分の自己肯定感を下げていくことが心に引っかかった。
社会人は自分で選択が出来ることが多い。
無意識のうちに、やりたくないことを徹底的に排除して自分にとって心地よい環境を整えてきたんだろう。
それ自体が悪い訳ではないが、自分に逃げ癖が染みついてしまったように感じてそれが嫌だった。
やりたくないには2種類ある
私が思うに”やりたくない”には2種類ある。
ひとつは本当はやりたいしやるべきなのは分かっているけれどやりたくないこと。
もうひとつはやる必要すら感じないからやりたくないこと。
後者はまさにやらなくていいこと。
たとえば周りからの指摘でのダイエット、気乗りしない何かへの参加など自分主体ではないこと。
やらなくていいことをやらなくても、別に心に何も害はない。
ただ私は、前者の”やりたくない”には向き合いたいと考える。
なぜなら本当はやりたいと思っているから。
いつかやらなければいけないと分かっているから。
先延ばしにしても良いことはないと感じているから。
やらないという選択によって心が廃れていくから。
私がランニングの時ほどなにかをしたくないとごねたのはきっと受験のとき以来。
自分の心との葛藤があるからこそ、ごねるし駄々もこねた。
でもその時こそが自分と向き合うチャンスなのかもしれない。
やりたいとやりたくないで葛藤するほど心が動く瞬間を無駄にしてはいけない。
やりたくないことをやるコツ
コツはただひとつ。
やるだけ。
こんなのコツでもなんでもないかもしれない。
しかもとてつもなく難しい。
でもこれしかない。
やりたくないことをやるに当たって、
人に頼ってもいいし、高らかに宣言をして自分を追い込んでもいい。
反対に誰にも言わず黙々とやりのけるのもかっこいい。
憧れの人を見つけて真似するのもよし。
やるメリットを書き出して自分を納得させるのも良いだろう。
自分が一歩踏み出せるスイッチのようなものをひとつ持っておく。
それだけでやらない大人から一歩離れられる気がするからそれで充分。
生きていれば上手くいかないときもあるし、何もやりたくないことだってある。
そんな自分を認めつつ震い立たせる方法を見つけることが生きやすくなる方法でもあるのかなとしみじみ。