昔職場の同僚に、きれいな人生を生きてきたんだねって言われた。
その人は何の気なしに言ってのけた。
まさか今も気にしているとは思ってもないだろう。
きれいな人生ってなんですか?
そもそもきれいな人生ってなんだろう。
家庭環境が良いこと?両親がいること?学校に通わせてもらえること?
大人が望む子どもになれること?
問題がないこと?失敗がないこと?
”ふつう”に見える人のことだろうか。
見える部分、見えない部分
自分の人生になにがあって、どう考えて、どう乗り越えたか。
それって本人にしか分からないこと。
他人が判断できる部分も、判断していい部分もない。
一般的な成功を収めたから良いわけでもない、一般的にいう苦労をしたからといって悪いというわけでもない。
そもそも善悪、きれい汚いと分けられるものではない。
私の人生
学校に通って、部活をして、バイトもして、社会人になって、といういわゆる線路に沿って生きた。
比較的恵まれている環境で育った。
失敗も経験したし、上手くいかないこともたくさんあった。
良くも悪くも、”ふつう”の人生。
いろんな人の一生を切り取って並べたら自分の人生を探しだすのが難しいくらい埋もれるような人生。
でもね、歩み方ってそれぞれだと思う。
同じ人生だとしても同じ歩み方をする人はいない。
その人のいうきれいな人生は、そういう型どおり、線路通りみたいなことを含んでいたけど、
それだけを指している言葉ではなかった。
同時に、あなたの人生つまらないねって言いたかったんだなと感じた。
腹がたったわけ。
もちろん乱暴な意見を言われたこと自体にもイラっとはしたけど、その人の思考はそうなのだから
どうしようもない。じゃあなぜか。
そう、図星だったから。
別に自分の人生に満足しているわけじゃなかったし、選択の場面で安牌をとることもあったし、挑戦せ
ずに後悔していることもあったし、あげればきりがない。
実は隠れていた自分の気持ちを、きれいな人生だねのひとことで思い出したんだと思う。
自分が満足する人生を歩めればそれでいい
この一言に対してこれだけ思うほど、私は自分の人生をおろそかにしていた、
その事実に気付けただけで十分。
ちゃんと向き合って行こうって思えたし、結果オーライ。
その人のことは嫌いすぎて思い出すだけで吐き気するけど、人生動かしてくれてありがとう。