新しい出会いが増えると必然的に自己紹介をする機会が増える。
名前、出身地、年齢…
当たり障りなくやり過ごせていると思ったが最近新しい発見をした。
年齢への反応
20代後半になって実年齢を言うと、もっと若く見えます、自分と同じくらいかと思った、20代前半かと思った、と言われることが増えた。
そもそも、その言葉自体何の意図もなく発せられる言葉の1つでしかない場合が多い。
かくいう私も、人の年齢に対してもっと若く見えるという言葉をよく使っていた。
若く見える=褒めているみたいな感覚
若さを褒めるということは、若さが世間一般ではステータスだということ。
逆にいうと、年を重ねることはマイナスだと思われがちだいうこと。
でも本当に若いこと自体に価値があるのか。
本当にその尺度が合っているのか。
そもそも年相応って何なのか。
年相応って何?
年相応の服装をしなさい。
あの年であんな恰好して…
いい年してあんなことして…
20歳はこう、30歳はこう、40歳はこうで、60歳は…
自分に置き換えてみると、誕生日を迎える度に年齢に追いつかない精神年齢を気にしているけど、年相応ではないという判断は何によってなされているのか。年齢に紐づくイメージって何なのか。
きっとだいたいこうだろうという想像。
この年くらいならこうだろう、こうなっていたいという理想を含むこともあるだろう。
そう考えると、私たちが考える年齢って案外あてにならないなと思う。
なのに、勝手に想像を膨らませたイメージだけで周りも自分をも縛ってしまっているのではないだろうか。
年齢はただの数字なのか。
年齢はただの数字という言葉がある。
年を重ねることにマイナスのイメージがある人にとっては、年齢を言い訳にしないとか後押ししてくれる言葉ともとれる。
まあ、実際生きた年数を表す数字でしかないことは確か。
でも私は、年齢はその人が生きてきた、刻んできた、経験してきた人生をあらわすものでもあると思う。
別に濃さとか量や質を問うものではなく、誰かに判断されるべきものはないが、これまでの大切な時間を年齢と共に刻めるってなんかロマンを感じるじゃないか…!とこれから年を重ねていくことにワクワクさえしてくる。
だから逆に、若く見えると言われるとあまり人生経験が豊富そうではないですね、と言われている気分になってしまうようになった。
年齢=生きた年数 以外のなにものでもないかのように。
もちろん若いと言われて嬉しい人もいる。
それに関して何か思うわけでも、否定したいわけでもない。
でも私自身は、考えが変わってから意識的に年齢についての自分の反応を気を付けるようにしている。
年齢という事実以外そこに何も偏見が存在しないように。
若いとか、元気とかもったいないとか、そこに自分の想像を含まないように。
今までの慣習がなくなると、会話を止めてしまう感じもするし、盛り上がりに欠ける気もする。
社交辞令すら言わない冷たいやつと思われるかもしれない。
でも、私は若さがすべてだとは思わないし、思いたくない。
年を重ねることを自分が何かをやらない言い訳にもしたくない。
だから、相手も自分も縛らずに生きるよう心掛ける。
これからも一生懸命年齢を重ねて生きていくつもり。