考えすぎてもいいじゃないか。

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家族や友人など他人から”考えすぎだよ”と言われた経験はありませんか。

その何気ない一言で自分で自分を責めて苦しんでしまっていませんか?

そんな悩みを持っていた私がその言葉の呪いから救われた方法をご紹介します。

考えすぎてしまうことのつらさ

当たり前だと思っていた考え方や思考が実は普通じゃないのかもしれないと思い始める。
あなたは普通ではないよ、というレッテルを貼られたような気分。

特に本音で話すタイミングになるとより強く感じる人との ”ズレ”。
こうなってくるともう本音を隠すしかなくなる。
本音を隠すから友達との会話も楽しくないし、人と会うことがストレスになる。
人と会わない時間が増えることで、マイナスのことを考える時間が増え自己否定に走る。

でも、待って。
私は本当に普通ではないの?
何が普通で何が異常なの?

私がこのループから抜け出した方法3選。

  • その人たちと距離を取る
  • 理解してもらおうとすることをやめる
  • 哲学との出会い

1,距離をとる

まず、会うとマイナスな気持ちになる人と物理的に距離をとってみること。
はじめは、地元を出て親や学生時代の友人と離れる。
次に人格否定をしてくる上司がいる職場を辞める。

さらに、物理的な距離をとってもなお連絡をしてくる人には無理に返信しないようする。

環境を変えるリスクが伴うけど、私の場合これでだいぶ楽になった。
連絡を返さなきゃいけないとの思い込みを閉じ込めて、余計なストレスを増やさないようにした。

2,理解してもらおうとすることをやめる

心のどこかでいつか分かってくれるかもという希望があった。
自分が相手を理解しきれないように、相手も自分とはちがう生き物だと頭に叩き込む。
この人とは違う考えなんだなと線を引く。
むしろこういう考えもあるんだと新発見をしている感覚にシフトチェンジする。

3,哲学との出会い

はじめて知ったとき衝撃を受けた。
アドラーの”課題の分離”という考え方。

正確な説明するには知識が乏しいので、私の受け止めかたを紹介。

相手の思考は相手のもの。だからそこに私は介入しない。

逆も然りで、私の思考は私のもの。だからこれを奪わせない。

自分が非難されたとしても、これは私のものだからと線をぴーっと引くイメージ。
相手には相手の思考があるし自分は同じ事をやり返さない。
否定はせず、受け止める。受け止めるのも難しそうなら受け流す。

まとめ

まあ、こんなかっこよさげなことをいってはいるが、単に開き直っただけなのかもしれない。

それまでは苦しくてもどうすることも出来なくてもどかしかった。

自分の心を隠すことで社会性を保とうと無理をしていた。

でも、上記3つを試して視点を加えたり変化させたりすることで、そのままの自分を認められるようになったのではないかと思う。

普通に生きることが出来ない自分だけど、たくさん失ったものもあるけど、自分でいることを決めた自分を誉めてあげたい、と思えるだけ人生にゆとりができたなと感じる。

だから過去の私のように、いま苦しい人が少しでも苦しくなくなるように、私の苦しみや対処法を共有できたらなと思う次第です。

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