空気を読むこと

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あるとき、職場で怒られている人がいた。

怒っている側の人は、ああまた今日も怒っているなと思えるほど、定期的に怒りを爆発させている人。
別に間違っていることを言う訳ではない。
ただすごく細かくてそれ今じゃなきゃだめ?ってタイミングで怒って来る。

そんな感じの人だと分かっているから、基本的に怒られた人は罪がなくてもいったん謝る。
私もそちら側の人間だし、それが普通の社会を生き抜く方法だと思っていた。

怒りへの反論

その怒られている人は、傍からみても理不尽なことで怒られていた。
それはその場にいる誰もが理解は出来た。

ただ、その人は怒られた時に言い返した。
それを私に言わないでくれ、と。
空気が凍った。
あんなに空気が固まるのを初めて体感した。
ああ、空気が凍るってこんな感じなんだ、と。

空気を読んで折れること

まず私だったら、100%謝る場面。

なぜならここで反論しても火に油だから。
言い返すメリットが1つもないから。
場を穏便にやり過ごす唯一の方法が折れて謝ることだから。

あれ、これってどこで覚えた技なんだっけ。
空気を読むって独特の表現だよなと思いながら、それに慣れ切った。
きっと学校生活でみんなと同じであることを強いられ、出る杭は打たれるという環境下におかれて自然に身に付けた技なのだと思う。

でも、それって怒っている人の横暴を許すことにもなるよなとふと考えた。

空気を読まない人間

私はその怒られていた人を少しかっこいいと思った。
場の雰囲気やメリットに囚われず、大勢の前で自分の意見を言ってのけたから。
それがどんな結果になろうが、その後の仕事がやりにくくなろうが、その人はその時の自分を守ったから。
自分に嘘をつかなかったから。

大人になってしまった私は今日も空気を読むことを選ぶ

どっちが正しいとかは分からない。
私は今までそうしようと思ったことさえない。
意識しても実際に反論することは難しいことだと思う。

でも私はその人のかっこよさは忘れない。
忘れたくないと思う。

かっこいいと思ったことや少し憧れを抱いたことは紛れもない事実。
でも、日本人として社会人として謎の技術を身に付けてしまった私は、きっと今後も空気を読むことを選択すると思う。

でももし、いつか大事な場面で、どうしても譲れない場面が訪れたら、空気を読まなくてもいいし自分も戦える人間であるというメンタルは忘れずに持ち合わせていたい。

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