こだわりはない方がいい?

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好きなお酒は何ですか?と聞かれると答えに困る。

好きなお酒なんてものはない。
ビールは飲むけど好きなビールはない。
好みじゃないのはあるけど、好きは存在しない。

当たり前だと思っていたこの考えに疑問が生じた。
私ってこんなに意思のない人間だったっけ?

好きと言えるお酒を見つけたいと思った。

ビールとの馴れ初め

大人らしく会社の飲み会に参加したある日。
「とりあえず生」というワードが現実に存在することを実感した。

それまではメニューを見て気になるものやお店のおすすめを選んで注文していた。
周りもそうしていたしその時間すら楽しかったから。

でも大人は違っていた。
メニューなんて見る時間は与えられない。

いや、正確に言えば選ぶ余地は与えられている。
みんなが私を待つその時間や空間に耐えられないだけ。

だから、大人になった私はビールを注文するようになった。
美味しいとも感じず、のどごしなんて1mmも分からなかったけれどビールを頼んだ。

そしたら慣れた。
ビールばかり飲むようになった。
今は糖質を気にしてたまにレモンサワーを飲むけれど。

こだわりのない人間

私が何かを選ばなくなったのはいつからだろう。
当たり障りなく生きることがフツウになってしまったのはどうしてだろう。

いつのまにか私は何においてもこだわりのない人間になった。

そう考えると、他にも思い当たることはある。
日々の食事然り、友達と遊ぶとき、どこかに出かけるとき、何かをするとき。
全ての瞬間において、できるだけ選ばなくて良い立場をとったり、もはや選択の余地を作らないようにさえしていたことに気付き、動揺した。

ああ、私、つまらない人間だ。

ただの嫉妬じゃないか

好きなことをしている人は強いという。
私はそんなこと出来る訳がないとバカにしていたが、それは感情の裏返しだったのかもしれない。

私はその人たちに嫉妬しているだけだ。

私も”好きがある人間”になりたい。

こだわりのある人間

「とりあえず生」をやめた。
簡単なようでちょっと勇気のいること。

私は自分に何かを選ぶことを課した。

まだ”好きなお酒”は見つかっていない。
でも訓練をしていたらいつかは見つけられるだろう。

生ビール地獄から抜け出した私は、現在瓶ビールに移行した。
ここからどう変化して”好き”を見つけるのか。

たかがお酒の好みの話が人間としての話まで広がってしまった。
小さい小さいどうしようもない冒険だけど、おかげでちょっとわくわくがとまらない。

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