まず始めに、私が社会に提供できる価値は今現在ありません。
何も出来ないという現実に打ちひしがれて落ち込んだこともありました。
でもいつからか、価値を身に付けるために生きようと思うようになりました。
死にたいほどつらい訳ではないけど、だからといって生きる意味はないと思っていた私に生きる理由が出来ました。
今は何も出来なくて社会から恩恵を受けるばかりだけど、いつか最期を迎えるまでに何か価値提供できるような人間になりたいと思いながら生きています。
何もない私
まず私の現状から。
30代が迫っている私。
昨年借りていた家を手放し家無き子となりました。
仕事はフラフラ期間を経て派遣社員です。
自由に使えるお金はあまりなく、わずかな貯金もまもなく将来への投資として消える予定。
ドラマでよくいる何でも話せていつでも会えるような友人もおらず、恋人は陰すらなし。
困ったら相談できるような人もおらず、人間関係すら上手に築けず生きています。
学生の頃に素敵な人生を歩むことを疑っていなかった私にとって、この現実は悲惨なものでしょう。
きっとこうなると言われても信じられなかったと思うくらいのないないづくしです。
そう、ただ生きているだけでは時間は何も解決してくれないと学びました。
そして真面目に生きたからといって何もかも上手くいく訳ではないことも学びました。
今できること
人生もキャリアも結婚も子どもも、あらゆる悩みが私のパートナーなのかもしれないといっていいほど、私の頭の中にずっとこびりついて離れなかった各種悩みごと。
何一つ解決はしていないし、むしろどんどん無いものは増えているけれど、今はとても楽しく生きています。
今も不安になることばかりだし、全て受け入れられたわけでもないし、メンタル絶不調のときもあります。
でも、こんな人間でも楽しそうに生きているって知ったら誰かの救いになるかもしれないと思うのです。
仲が良い友人にも言えないこと、家族には話せないこと、弱音を吐けない人、そういう心の深い部分を言語化してここに羅列することが出来る、恥ずかしげもなく吐き出せちゃうっていうことが今の私に出来ることなのかなと開き直ることにしました。
こんな大人が存在すること、それでも楽しく生きられるようになること、逃げてもいいって思えること、いろいろな選択肢があるよって思えること、こいつを反面教師として頑張ろうと思えること。
受け取り方は人それぞれです。
「こんな人間が生きてるんだから自分も大丈夫だと思ってもらえるんじゃないかというささやかな期待」を今の私の提供できる価値と定義したいと思います。