気にしいの正体

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「私、気にしいなんです」
そう打ち明けられたことがある。
ああ、確かに物事を気にしすぎちゃう気持ちは分かる。
そう思って話を聞いて励ました。
職場で上手くやれるように一緒に頑張ろうと言って別れた。

その人は翌日から仕事に来なくなった。

私、何かしたっけ

前日に頑張ろうと言って別れた同僚が消えた。
その事実を知って私は最初に思った。
「私なんか余計なことを言ってしまったかもしれない。あまり寄り添えず逆に傷つけてしまったかもしれない。」

反省をした。

確かに最初は反省した.
だが考えれば考えるほど、疑問が消えなくなった。

あれ、気にしいって、いったい何なんだろう。

気にしいのベクトル

他人がどう思うか怖くて悩んで困っていた彼女は、励まし合った人が翌日にいなくなる人(私)のメンタルまでは考えられなかったらしい。
他人の言動がこわいと言いながら、人のことは平気で切り捨てるのかという衝撃。

本人は、他人のことを考えてしまうことにより自分の行動が制限されていると思っている。
でも実は他人にどう思われるかという自分のことしか考えてないのではないだろうか。

そうか、気にしいってベクトルが自分にしか向いていないんだ。

他人を気にしちゃうのは分かるけど。

ここで私が望んでいたのは”気遣い”なんだと思う。
一言告げる、別れの挨拶をする…

その人にとって私がその価値がある人間でなかったのは理解した。

だとしても、人に傷つけられる怖さが分かるなら、そのくらいの気遣いはあってもよかったというか、してほしかったと思うのが正直なところ。

他人との共存

生きていくうえで、ベクトルは自分に向けるべきだと思っている。
他人は変えられないし、感情を押し付けることも出来ないから、自分のことは自分で対処できるようにするためにも。

だから、その人がベクトルを自分に向けていることは全くもって間違いではない。
ただ、他人と共存しなければいけない社会生活において、気遣いやコミュニケーションがとてつもなく大事な要素であることは確か。

自分にベクトルを向けながら、他人と共存する。
目指す形ではあるが、どちらかに偏ると独りよがりになってしまう。
その辺り、バランスを考えて行動しなければならない。

ただ、私って気にしいなんですという言葉は、私って人見知りなんですと同じくらい、努力しない自分を誰かに認めてもらうための言い訳にしか聞こえないようになってしまった。

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