社会に出ると、しばらく会わない人が増える。
ふとその人たちを思い出すときに元気で楽しくやっているだろうなと思う人と、あの人元気にやっているかなと思う”儚い”人がいる。
私が人を思い出す時に感じる”儚い”っていったい何なんだろう。
儚いとは
「儚い」とは、確かなところがない・淡く消えやすいことを意味する表現。
私が人に感じる儚さは辞書通りの意味だった。
でもその人たちが実際に淡くて消えやすいのかというとそうではない。
私がその人たちに抱く考えやイメージにぴったりな言葉が”儚い”だけ。
さて、なぜ私は人に対して”儚い人”と思うのだろうか。
沼ってる?
沼るとは沼にハマって抜け出せなくなった状態のことだという。
表面だけでなく、様々な面を見せてくれる。
なにか影があるように感じる。
深い考え方をしていると感じる。
その人の生き方が素敵だと思う。
真似したいと思う部分がある。
何かと闘っているように見える。
私が儚いと感じる人に共通している特徴。
男女問わず私はその人たちに魅せられていた。
そう、私はその人たちに沼っていたのだろう。
その人の魅力に魅せられ沼っているからこそ抱く幻想や想像が、”儚い”という言葉となって思い出されたのだろう。
存在感のある人間
私は私にとって存在感のある人間に沼っていた。
会わない間も無意識の中でその人への関心があった。
日々たくさんの人と出会う中でこれだけインパクトの大きい出会いはどれだけあるだろうか。
その人たちが今の自分の一部を担っていると言っても過言ではない人との出会いはそうそうない。
だからこそ自分にとって存在感のある人として記憶している。
さて、私がこの事実に気付いたときに思ったことがある。
”私もそういう人になる”
毎日流れるように過ごすなかでなんか印象に残る人。
その人の1日を通り過ぎるだけの人じゃない人。
1発で衝撃を与えるほど大きなことはできない。
でも思い返してみたらあの人印象的だったなと思ってもらえる人間力を身に付けたいと思う次第でございます。