すてきだと思う人がいた。
笑顔になれるし、真似したいと思えるところがあるし、尊敬できる部分がある。
でもある日その人がちょっと気になる行動をした。
その行動ひとつでその人がイヤになった。
さて、たった一つの行動でその人のすてきな行動を上書きして消し去ろうとしてよかったのだろうか。
”イヤ”の判断基準
人間誰しもいろいろな自分を持っている。
人によって違う自分を見せることもあれば、気分によって行動が変わることもある。
ということは、その人が見せている部分はほんの一部でしかないということがまず一つ。
そして、”嫌だ”と感じたことに対しての判断は私の価値観でしかないということ。
これが普通、常識だから…など人に言われたらイヤな言葉を相手に押し付けてしまっている可能性があるということがもう一つ。
この2つを考慮すると当時の私がたとえどれほど嫌だと感じたとしても、その人の全てを否定することは間違っていたのかもしれないと思う。
マイナスな感情に乗っ取られるな
日々様々な感情を抱く。
自分にとってあまり喜ばしくないことも多々起きる。
その瞬間、マイナスな感情が自分を支配する。
だから楽しい思い出が一瞬にしてマイナスな感情に乗っ取られてしまうことがあるのは仕方ないことだろう。
でも、それってわざわざ上書きして消すべきことか。
同じ人に対して良い人だと感じたのも、嫌だと感じたのも”私”であって、その人自体が変わった訳ではない。
私からの見え方が変わっただけ。
だから、別物として記憶する。
私がすてきだと思った部分と嫌だと思った部分を分けておく。
たったそれだけを意識するだけで、簡単に人を判断できないと分かる。
そしたら、嫌な人が減る。
だって、行動の全てが嫌な人ってそうそういないから。
だから私はこれからは、上書き保存はしない。
その人のすてきな部分を記憶し続けていく。